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ものづくりと匠(たくみ)の技(わざ)

日本は戦後、ものづくり(製造業)を中心に成長を遂げてきた。サービス化やIT(情報技術)化、IOT(モノのインターネット)化などと言われるようになって久しく、最近、世間ではものづくりは遠い昔、離れた世界のことというイメージがでてきているように思えてならない。

ものづくりの精神やものづくりと生活とのかかわりは変わらないでいてほしいものだ。

もう4年近く前のことであるが、県議会で以下のような質問をした。質問の中の一部ですが、お時間があれば、ご覧ください。恐縮です。

さあ、今日も前進!

(島根県議会2月定例会の一般質問において~2014年2月24日)
 
 「まず、ものづくり産業に関連して質問させていただきます。
 先日、私はお台場の東京ビッグサイトで開催された東京国際ギフトショーを見てまいりました。日本最大のパーソナルギフトと生活雑貨の国際見本市であります。衣食住にかかわる家庭日用品や生活用品を、日本はもとよりアメリカ、ドイツ、イタリア、イギリス、スイス、オランダ、中国、マレーシアなど20カ国の約2,400もの出展企業が展示する、3日間で約20万人の方が訪れる巨大なイベントでありました。
 島根の事業者も参加され、4つのブースで出展されていました。金工品、陶器、木工、和紙などの工芸品などを出展しておられました。工夫を施したすばらしい家庭日用品、生活用品を見るにつけ、匠(たくみ)の技(わざ)とよく言われますが、全国には、そして島根には今でもまだたくさんの匠(たくみ)の技(わざ)、職人の技(わざ)が残っている、会場いっぱいの出展を見て、この匠の技産業の世界の裾野の広さと深さ、歴史の長さを再認識したところでございます。
 戦後の経済成長を通して会社勤めが定着しましたが、こうした職人技を駆使してなりわいにする道もあると強く思いました。「厳しい世界ではあるけれど、やりがいのある楽しい仕事だと思う」と、島根県の女性で脱サラしてこの仕事につかれた出展者が私に語ってくださいました。若い人たちにはぜひものづくりの楽しさや魅力を知ってもらい、こうした仕事にも注目してもらいたいと思いました。
 よく知られておることでございますが、島根県内では古くからたたら製鉄が盛んに行われていました。幕末、明治期に日本に導入された西洋式近代製鉄法以前の製鉄方法であります。日本で唯一のたたら総合博物館である安来市の和鋼博物館によれば、日本人と鉄との出会いは、縄文時代末に鉄器が日本列島にもたらされたことにあるそうであります。国内の鉄生産が本格的になったのは、研究者によって意見が分かれるものの、少なくとも古墳時代後期、今から1,400年前だと考えられているそうであります。その中で、初期のころの原料は鉄鉱石の場合が多かったようでございますが、以後砂鉄も加わり、やがて砂鉄が主流になっていったそうであります。
 特に、中国山地には良質な砂鉄がとれるため、たたら製鉄が盛んに行われました。安来市の安来港は、江戸時代より鉄や鉄製品の積み出し港として栄え、市内南部の広瀬町や奥出雲町などは野だたらによる鉄の生産地として発展し、一時は鉄の生産量が国内の7割から8割を占める地域となったということであります。
 このたたら製鉄にかかわる鍛冶、鋳物等に携わる人々は、金屋子神と呼ばれる鉄の神様を古くから信仰していました。金屋子神は高天原から播磨国に天下った後、シラサギに乗って出雲国比田村のカツラの木に飛来し、ここで現在の金屋子神社の宮司の祖先に出会い、「我は金屋子神なり、今よりここに宮居し、たたらを立て、鉄吹術を始むべし」と宣言して製鉄方法を人間に伝授した後、その地に祭られたこととされております。神技(わざ)という言葉がありますが、たたら製鉄は神から授かった技(わざ)とも言えるのでしょうか。
 島根には今もそのたたら製鉄が残っています。公益財団法人日本美術刀剣保存協会による日刀保たたらは、1977年以降、国庫補助事業として日立金属株式会社及び関連会社の皆様の協力のもとにたたら操業を行い、たたら技術の保存と後継者の養成に努めておられ、今でも生産された玉鋼などを全国の約250人の刀匠にお分けして文化財保護に貢献しておられます。
 島根には昔からの農業や、1,000年以上もの歴史を持つと言われるたたら製鉄に代表されるさまざまななりわいの中で培われたものづくりの技術、匠(たくみ)の技(わざ)、そして心があるように私には思われてなりません。島根県民の性格として粘り強さ、努力を惜しまないというようなことが挙げられているのをよく本や雑誌などで見かけますが、このようなことも関連しているようにも思います。要するに、島根にはものづくり産業において強みを発揮できる人たちが多いのではないかということでございます。
 また、私は30歳前後の時期にアメリカで自動車メーカー向け磁石製造工場を営む会社で2年間、アメリカ人とともに働いた経験がございます。当時は会社が設立されたばかりで、アメリカ人のフロアワーカーの時給は、職種により当時のレートで800円から1,500円程度でした。一方、同じアメリカの金融、証券の世界では億単位の年俸やストックオプションなどを手に入れるなど、そういった人たちもたくさんおられましたし、今もその状況は変わりません。そうした報酬を手に入れるのは会社のトップや役員に限らず、業績を残した社員にまで及びます。日本の会社の一般の従業員とトップの給与格差は10倍から30倍程度、アメリカは200倍から300倍とも言われていました。私はそれに違和感を持っておりました。日本人がそれぞれの能力を生かして仕事に励めば、家庭を築き、子どもを教育し、後顧の憂いのない生活を送れるような社会が築かれなければならないと思いましたし、今でもそう思っております。
 5年ほど前に世界的金融恐慌を経た後、アメリカ人でノーベル経済学者でもあるジョゼフ・スティグリッツ氏が、グローバル化した経済が引き起こしてきた負の部分に光を当てて、アメリカ国内で広がる格差の問題について指摘と処方箋を提示しております。保守、リベラル派の温度差はありますが、グローバル経済化の大きな役割を担ってきたアメリカやEU諸国の経済学者、政治家の中から政府、中央銀行が市場に対してより大きな役割を担うべきという議論が出てきていることに、これからも注目していきたいと思っております。
 そういう点からも、世界を見渡す限り、日本のものづくり産業は昨今凋落しているという議論が見られますが、国民の皆さんがみずからの職業人生を託せる立派な職場をこれからも提供できると思います。
 さて、そうはいっても、今、日本のものづくり産業は大きく揺さぶられていることは確かであります。主要通貨に対する円高、プレミアムつき化石燃料の高騰、新興国製造業の競争力強化、海外への工場進出などさまざまな要因で、製造業全体の従業者数や事業所数は1990年代以降、減少傾向が続いております。しかしながら、それぞれのニッチ、細分化された市場で小規模ながら急成長されている企業もあれば、成長率は低いけれども息の長い事業を展開しておられる企業、高い専門性や固有の技術力を持って成長している企業、日本に研究開発試作拠点、本社機能を持ち、主な生産を海外で行い成長している企業もあり、ここ島根県にもいろいろな形で成功をおさめられている製造業者、ものづくり産業の方もたくさんおられます。ものづくり産業の様相は十把一からげに説明できるものではありませんが、知事の考えられる島根のものづくり産業の将来像について伺います。
 また、島根には安来市を中心に、世界に誇れる技術を持つ特殊鋼産業が存在しております。また、島根県内にも先ほども触れた匠の技、規模は小さいですが、特に食品、菓子、茶、金工品、木工、和紙、陶器などにおいてすばらしい伝統と技術を持った事業者の方が御活躍されています。知事に、島根のものづくり産業の将来像における特殊鋼産業と、匠の技産業の位置づけをお伺いいたします。
 そして、特殊鋼産業、匠の技産業の知事の位置づけを踏まえ、今後の支援の方針をお伺いいたします。」

            以上

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